寺の歴史や由来
 江戸時代前期の寛永5年(1628)、盛岡・東顕寺第6世嵩獄善壽大和尚により開山された。当初は山号を「本野山」としていたが、元禄時代(1688~1704)に「天恩山」に改められた。
 度重なる火災による焼失で寺は何度か建て替えがされている。過去歴代和尚の位牌にも、建替えなど大事業に携わったことを表す「中興」の称号が見られる。現存しているのは昭和29年築の本堂、昭和38年増築の庫裡、昭和42年増改築の位牌堂。貴重な文献や仏像などは焼失し、現存していない。
 山門を入って左側にある無縁塔は昭和38年墓相学の大家・川船喜太郎氏の指導により建立されたものである。地蔵菩薩を中心に、大小300以上の墓石が安置されている。また、平成16年に夫婦、独身者を対象に個々に納骨が可能な永代供養塔を建立した。
【文化財】
道標・百万遍供養塔(盛岡市指定)

 







道標・百万遍供養塔(盛岡市指定)

歴代住職示守寂標